PikaCycling

Raleigh CRAとDAHON routeを買ったばかりのサイクリング初心者。ポタポタとポタリングを楽しもうと思っています。

北斗の拳スタンプラリーライド

函館市のお隣にある北斗市は、その名前を活用してよく北斗の拳とのコラボをやっている。
hokutoinfo.com

上磯町と大野町が合併するときにいろいろ候補の名前があって、個人的には稲海市あたりが良いなと思っていたんだけど(大野平野は米どころだから)なぜか北斗市に決まってしまって釈然としない気持ちになった。
北斗といえば北見北斗(スポーツ強豪校)のイメージが強いし、一番めんどくさいのは北杜市という読み仮名がまったく同じの市があるところ。
そのせいで昔は「北斗市」で検索しても北杜市の結果しか出てこなくて憤懣やるかたなかった。

それでも時がたつにつれて徐々に浸透してきたし、北斗の拳コラボイベントも定期的に開催するようになったので悪いことでもない。
今回は北斗市の観光名所で北斗の拳スタンプラリーを開催するとのことで、ためしにRWGPSでルートを引いてみたらちょうど100kmというポタリングにちょうどいい距離感だったので参加してみることにした。

まずは、きじひき高原に向けてヒルクライム。
実は前日もここに来ようと思ったんだけど、突然の土砂降りにやられてしまっていきなり帰宅を余儀なくされた。
函館圏にはこのきじひき高原と城岱スカイラインの2つのヒルクライムスポットがあるけれど、城岱の方が人気が高いのは西側にあるきじひき高原の方が天気が崩れやすいからかもしれない。

続いて向かったのはみなさんおなじみの新函館北斗駅。

東京から新幹線一本で来れるようになったので、輪行のハードルもぐっと下がって自転車旅行にはお勧めですよ。


続いては旧大野町にある意富比神社(おおひじんじゃ)へ。

ここは戊辰戦争の際に戦場だったことからスポットに選ばれているっぽい。


そしてそこから延々と南下して海に出て青函連絡船の慰霊碑へ。

当時は青森まで到着した鉄道車両をフェリーに積み込んで函館まで運ぶという今考えるととんでもない荒業をやっていたんだけど、台風のせいで一度に洞爺丸を含む6隻の船が沈没し、11,000人以上の人が亡くなるという事件があった。
その教訓もあって青函トンネル構想が一気に実現化したというのはなんとも皮肉な話である。


続いて海岸線を西に向かって太平洋セメントの海上桟橋。

これは全長が2km以上あって、日本でも最長の桟橋なんだとか。
子どものころは「これはいずれ函館山まで伸びるんだぞ~」というウソが流行っていたなあ。


さらに進んで渡島当別にある北斗星広場へ。

北斗市と北斗星、そう、ここもダジャレコラボであるw
保存してある車両に宿泊することもできるらしい。


次の目的地はすぐ裏山にある矢不来天満宮なんだけど、ここの道だけ未舗装路でロードバイクには辛い道のりだった。

ここはもともと道南十二館のひとつ、茂別館があったところらしい。
室町時代に東北の安東氏が北海道を支配する拠点として館を作ってアイヌと取引をしていたんだけど、コシャマインの乱によって十二の館のうち、ここ茂別館と上ノ国にあった花沢館を除いた10館がアイヌに落とされてしまう。
そこにさっそうと現れたのがかの有名な武田信広で、七重浜の戦いではコシャマイン親子を弓で殺害して乱を収め、かくして松前家の始祖となったそうだ。

矢不来とはアイヌ語の陸揚場=ヤンケナイだったらしく、そこから「矢が来ない」という字を当てたそうだから、こういう歴史も踏まえての当て字なのかもしれない。

昼食

さて、北斗市の中でも当別というと相当な田舎になっちゃうので、問題になってくるのは昼食スポットである。
しかしここは抜かりなく、以前に函館200の折にゆっくりさんから聞いていた風の丘に向かうことにしていた。
windhill-tobetsu.com
まさに海岸に向かってそびえたつ丘の上に面しており、もとは別荘地として売り出そうと計画された場所なのかな?
そこに現在はドッグランやカフェなどが立ち並ぶという、ちょっと浮世離れした雰囲気のところにそのレストランはあった。

ピザも美味しいしコーヒーも絶品なんだけど、とにもかくにも景色が素晴らしすぎた。
こーゆー落ち着いた雰囲気の場所はブルベでは寄れない(まったりしてDNFしたくなっちゃう)ので、プライベートで寄ることができて良かった。

後半戦

スイーツも美味しそうだったんだけど、次のスタンプポイントがトラピスト修道院だったので涙を飲んでパス。
やっぱりここに来たならソフトクリーム食べないとね。

という感じでスタンプラリーのスタンプはここでコンプリート。

しかし、AR写真ポイントを目指してさらに旅は続く。
スタンプと違ってARはメインストリートからかなり奥に入ったキャンプ場やら公園やらに設置されているので、思ったよりも走りごたえのあるコースとなった。

まずは茂辺地の奥地にある湯の沢水辺公園キャンプ場へ。

本当にもう、どこまで進んだか分からなくなるぐらい山の奥へ奥へと進んでようやくキャンプ場にたどり着くと、ヒグマ出没中につき閉鎖とのこと。

さすがにジャギ様よりもヒグマの方が怖いわな。


続いて旧上磯町の中心部を経由して上磯ダム公園へ。

ここに登るのは30年ぶりくらいなんだけど、当然自転車では初めてで、だけど勾配は緩やかで車通りもほとんどなく、頂上には自販機もあるからもっとヒルクライムスポットとして注目されてもいい場所だとは思った。

そして肝心のダムが入る場所ではARが反応せず、謎の石碑前での写真になっちゃったのは残念。


続いてダムを下ってすぐそばにある戸切地陣屋へ。
www.city.hokuto.hokkaido.jp
ここは松前藩によって築かれた日本で最初の西洋式星形城郭!
なんと、あの五稜郭よりも歴史が古いのだった。

ちなみに”へきりち”という地名はやはりアイヌ語由来で、「きれいな川」を意味しているらしい。
このあたりの地名は北斗市清川だし、むかしは清川陣屋とも呼ばれていたから多分間違いは無いと思う。

もうちょっといい角度で写真を撮りたかったんだけど、ツアー客がわらわらと押し寄せていたので足早に立ち去るしかなかった。


最後のスポットは旧大野町にある、北海道の稲作発祥の地の碑。

1692年に野田作右衛門によって初めて北海道でお米が作られたとあるけれど、そのころは単に「作ってみた」レベルに過ぎず、実際に北海道の気候でも耐えられる米が作られるようになったのは1873年になってかららしい。
自分の祖先は天保の大飢饉(1835年~)の折に長野県の中野村から蝦夷地に逃げてきたと言われているから、そのころはまだこのあたりでは稲作はできていなかったようだ。

ただし、1873年に稲作を成功させた中山久蔵も、ここ道南で栽培されていた赤毛米を品種改良したというから、うちの先祖が細々と作りついてきたお米が北海道米の先祖になっているのかもしれない。


そんなことを考えているうちにゴール地点の新函館北斗駅に到着し、観光案内所で参加証のステッカーをいただいた。

我が生涯に一片の悔い無し!(違います)

なんだかんだで120kmほど走っておなかが空いたので、夕飯は二郎系ラーメン。

ロードバイクで走るとすべてをゼロカロリー扱いできるから捗る。

そんな感じで、すぐお隣にあるとはいえ普段走らないようなスポットにも立ち寄れたし、走りごたえもあるし歴史について改めて考えさせられる楽しいライドになった。
来年も開催されるようならまた走ってみたいな。
というか、もっとサイクリスト向けのイベントとして広めた方がいいと思うんだけどなあ。